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おすすめ書籍第六回

おすすめ書籍第六回

書籍情報

  • 第6回 2014年10月
  • 書名1  現場のための海岸工学 (高潮編)
  • 書名2  現場のための海岸工学 (侵食編)
  • 書名3  実務者のための海岸工学
  • 著者  豊島 修
  • 出版年 1.1969年、2.1973年、3.1990年
  • 出版社 1.森北出版、2.森北出版、3.全国海岸協会
  • 本の紹介者:首藤伸夫(東北大学名誉教授)

紹介記事

豊島さんは1950年九州大学工学部土木工学科を卒業、福岡県に入り、土木部港湾課海岸係長の時、1963年に建設省土木研究所海岸研究室長へ移動。1965年に建設省河川局海岸課課長補佐になったのち、本省と土木研究所を行き来しながら1979年には東海大学海洋学部教授となられた。1990年1月1日逝去。63歳。

「現場を見よ」、「現場は足で見る」が口癖であった。なにかあればすぐ現場に飛ぶ。初めての現場を訪れる時には、まず遠くからその海岸全体を望み、海岸のイメージを作ってから現地に乗り込む。そうしないと判断を誤る危険性があると云っておられた。

現場を訪ねた記録は、いつも同じ場所から取った。1万7千枚を越える写真となって残され、豊島先生のスライド集http://www.nilim.go.jp/lab/fcg/photo/toyo_main.htmとして国土総合技術政策研究所海岸研究室のホームページに見ることが出来る。同じ場所から撮られることから「豊島先生の定点観測」と呼ばれていた。

実は書評者は、1960年から1966年まで土木研究所の海岸研究室に居り、2年間は豊島室長の下に居た。1963年の秋、陸奥湾内の波浪観測所を見に行った時の事、いつものように「何か面白いことはあったか」と豊島室長に聞かれた。実はあった。津軽半島の陸奥湾側に蟹田という地点がある。地元の人々が利用する場所は波当たりが強いため、沖に波よけとして島堤を作った所、その裏側に砂がついて前より使い勝手が悪くなったとぼやいていた。「下手な事をするもんですよね」と答えたら、「陸側に砂が付くのか」「そりゃそうです。例えば江ノ島を見て下さい。 陸繋砂州という良く知られた現象なんです」。

私には笑い話でしかなかったものを、侵食対策としての離岸堤として実現させ、完成させ、普及させたのが、豊島さんである。

試験離岸堤第一号は北海道の銭亀沢に作られた。不安を抱く漁民に、一年後には撤去するとの条件で認めて貰った。設置するとまもなくトンボロが出来、砂浜は回復。さらに砂の移動により、それまで絶滅の危機にあった昆布まで増え始めた。一年後約束だから撤去しようと云った所、もっと数多く作ってくれと陳情された。この経緯をハワイで開催された海岸工学国際会議で発表され、私はその通訳を務めたのであった。

こうして各所に離岸堤が作られることとなった。

自然の強さ、人間の限界を知っていた。「無理にギリギリ突っ張って、最後はパタリと倒れて後はダメと云うような構造より、適当な所までは頑張るが、それ以上はムリをせずに上手に少しずつこわれることによってその場をしのぎ、アラシがおさまったら直ちに補強・復旧すればすぐ元の形に戻れるような、そんな構造を目指すべき」との言葉に代表されている。(紀陸富信:豊島先生を偲んで、豊島 修氏追想録、pp.86-87, 1990、追想録刊行会、全国海岸協会内)。

晩年には、波の力に逆らう事が無く、砂浜を波が引き崩す事のない工法として、緩傾斜ブロック方法を推奨された。

昭和57年から昭和59年まで河川審議会委員を務められたが、超過洪水への対処として、今で云うスーパー堤防を提唱された。

「現象を常人よりも忠実に貪欲に注視し、常人の及ばない几帳面さで記録を取り、そして常人では考えられない自由闊達な心境で分析し、結論に導いていった偉大なる工学者であった」(広瀬利雄:現実的工学者-柔軟な発想、几帳面な記録、豊島 修氏追想録、pp.189-187)と評された人の書いた本である。